新会長からのご挨拶
会長 平 山 英 三
2021 年 6 月就任
1946 年 米沢市 生まれ
元人事院総務局長
元国家公務員共済組合連合会常務理事
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このたびは、米沢有為会のホームページにアクセスしていただき、 ありがとうございます。ご質問やご意見を歓迎します。
6 月 26 日の定時総会で退任された大滝則忠前会長の後を受け、第 16 代会長に就任した平山英三です。米沢有為会 130 年の伝統の重みをひしひしと感じています。どうぞよろしくお願いします。
昨年からの新型コロナウィルスの蔓延により、日本中が大きな打撃を受け、社会構造も変革を迫られています。米沢有為会の活動も大きな制約を受け、定時総会や理事会も開催が困難になりました。定時総会は書面による議決に切り替え、理事会は当初、電話やメールで処理していましたが、現在は Zoom を用いて、定期的に開催出来るようになっています。
新型コロナの影響とデジタル化の波は寮生たちにも迫って来ています。キャンパスには行けずアルバイトもままならない毎日ですが、なんとか勉学が続けられるように支援していきたいと思っています。今のところ感染者は出ていません。大学の講義がリモート化して東京興譲館寮の場合はほとんど全員が寮の自室での受講となり、寮のインターネット接続は容量を大きくオーバーして低速化し、受講に支障が生じるほどになりました。幸い同じ建物内にある米沢有為会の事務局が既存資料をデジタル化して、役員がリモートアクセスできるよう回線の増強に取り組んでいましたので、これにあわせて寮室の回線の速度と容量を増強し学生の受講に支障が生じないようにすることが出来ました。
米沢有為会は、山形県南部、置賜(おきたま)地方の 3 市 5 町の郷土若人のための育英団体です。1889年(明治22年)に郷里を離れて勉学にいそしむ6名の在京学生たちが、郷土愛をもとに相互親睦、切磋琢磨を目的に結成した会です。「有為な人材を育てる」との願いから「有為会」と名付けられ、その後「米沢有為会」となり、賛同者を得て発足後 1 年で会員総数が 429 人になったと聞いています。
1908年(明治41年)には社団法人米沢有為会として認可されました。翌1909年(明治23年)旧藩主上杉家の援助を受けて藩校名にちなんだ育英寄宿舎『東京興譲館』を開設、1911年(明治44年)には奨学金貸与制度を設けて育英団体としての活動を開始しました。1914年(大正3年)には『仙台興譲館』を開設、1930年(昭和5年)には『札幌興譲館』を開設(~1988年)、1955年(昭和3年)には『山形興譲館』を開設(~1962年)して、青少年の育英事業を行ってきました。その後も教育、文化、産業の功労者を表彰する地域振興や我妻榮先生の生家を我妻榮記念館として運営するなどの新しい事業にも取り組んでいます。2013年(平成25年)には公益社団法人となり、2019 年(令和元年)には創立 130 周年を迎えました。
活動の一環として、1890年(明治23年)1月から会報『有為會雑誌』が毎月発行されました。その後も『米澤有為會雑誌』、『米澤有為会々誌』と名前を変えながら1943年(昭和18年)までに513号を発行しました。戦後復刊し、2021年(令和2年)までに70号を発刊しています。
これらの雑誌、会誌には会の活動を担ってきた諸先輩のご苦労が凝縮されていますが、有為会の活動のみならず、各種の貴重な資料が含まれています。新しいものはこのホームページの「アーカイブス」に掲載していますのでご覧ください。古いものは米沢市立図書館「ナセ BA」で閲覧が可能ですが、酸性紙が使用されているものも多く、時とともに判読不能となる恐れがあるため、米沢有為会は創立130周年記念事業の一環として、この会誌をデジタル化しました。そのデータを米沢市立図書館に寄贈しましたので、近く、公開され、多くの方に利用していただけるものと思います。今後さらにこのデータに目次や索引などを整備して使用しやすくし、Web 上での閲覧や検索を可能とする事業に取り組んでいますので、ご期待ください。
今後さらに置賜3市5町の発展のため、郷土置賜の在住者、出身者はもとより、郷土に何らかのご縁がある方々、さらに広く米沢有為会の趣旨にご賛同いただける方々に、会員として活動にご参加いただきたくお願い申し上げます。